安敦誌


つまらない話など
by antonin
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走馬灯のBGM

中学生の頃によく聴いていた曲。

ヴォルフ=フェラーリ 歌劇「マドンナの宝石」より第一間奏曲


ヴァルトイフェル 「スケーターズ・ワルツ」


イヴァノヴィチ 「ドナウ川のさざなみ」


スメタナ 輪作交響詩「我が祖国」より第2曲「ヴルタヴァ」(モルダウ)



「新世界より」などは高校に上がってから知ったので、中学生の頃はチェコ音楽に対するこだわりはまだなかった。「我が祖国」の全曲を初めて聴いたのも大学生協でクーベリックの安いCDを買ってから。その後はドヴォルザークの曲を集めて貪るように聴いていた。自宅にLPがふんだんにあったとか、聴くより先に吹奏楽で演奏したとか、そういった生育環境ではなかったので、まずはこういうムード音楽的なところが入り口だった。そのためか、一般のクラシックファンとはどうも話が合わない。

まあいいか。最近、懐かしい思い出がドロドロと流れ出てきて困る。
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by antonin | 2009-11-19 00:45 | Trackback | Comments(0)

ヴァイオリンの音色は擦過音に過ぎない

まぁ、確かにそうなのだけれども。

ラロ:スペイン交響曲

マイヤーズ(アン・アキコ) / BMGビクター



交響曲というより実質協奏曲なのだけれど、ラロがこの曲を発表したおかげで、多くの作曲家がヴァイオリン協奏曲を書いた時期があったらしい。あんなに小さいのに、よく鳴る楽器だ。ソリストが体をよじりながら演奏するのを遠くから聴いていると、ヴァイオリンが向いている方向に応じて音の強さが変化する。結構指向性の強い音源なんだな、なんてことをそのときには思った。

アキコさんとは違うが、これくらい有名な曲になるとYouTubeでも簡単に見つかる。



もう適当に貼り付けていこうか。

Dvořákの2楽章。


Чайковскийのフィナーレ。いっぱいあるので、どうせなら諏訪内さんのにしてみる。まだ若いな。


Brahmsのフィナーレ。3日間くらいループ再生してた記憶がある。


Sibeliusのフィナーレ。ひらりー・はーん。こっちは動いてる。


Bruchはスコットランド幻想曲のほうにしておこう。アキコさんかっこいい。


最後に。協奏曲じゃないけど、アンダンテ・カンタービレ。トルストイも泣いたらしい。これ聴いたら寝よう。

あ、これ、4台ともチェロなのな。いいかも。

んじゃ、おやすみなさい。
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by antonin | 2009-11-14 02:57 | Trackback | Comments(0)

必ずしも牧歌的ではないチェコ音楽



日本人にとって馴染み深いチェコ音楽といえば、チェコがオーストリア・ハンガリー二重帝国から独立を目指し、文芸運動においても国民主義的な傾向を見せた時代の音楽になるだろう。しかし、かつて帝国の首都が置かれた百塔の都プラハが誇る音楽といえば、宮廷で踊られていたポルカになるだろう。ポーランド女性も確かにポルカと呼ぶようだが、この宮廷でも演奏されたチェコ民族舞踊としてのポルカは、その半歩だけ踏み出す独特のステップを指すチェコ語から来ているという説が有力らしい。

http://en.wikipedia.org/wiki/Polka

ドヴォルザークの「スラヴ舞曲」を意識して書かれたスメタナの「チェコ舞曲」にも第1集と第2集があるが、広くチェコ民族音楽に題材を採った第2集よりも、4曲のポルカからなる第1集の方が、気品ある音楽を得意としたスメタナ先生の面目躍如といった作りになっている。

アントニーン・ドヴォルザークは、肉屋兼宿屋の長男という出自から、単に土着的な曲しか書けない作曲家と誤解される傾向にあるが、実際には試行錯誤の末に、多様な民俗音楽を求める「市場の要求」にフィットする曲として、絶対音楽の形式と短調の民族的なメロディを統合した音楽様式に照準を合わせたことで、名声が欧米に広まったに過ぎない。

プラハ音楽院で、後に娘婿になるヨセフ・スクに作曲法を指導していたドヴォルザークは、短調の曲ばかり書いているスクに対し、夏期休暇の課題として長調の曲に挑戦するよう指示したという。その課題に応えて書かれたのが、スクの弦楽セレナードだった。確かに長調の曲には仕上がったが、その切ない響きはやはり若いドヴォルザークが書いた同名の作品を超える叙情が湛えられている。

日本人にとって愛着のあるチェコ音楽といえば、やはり民族的で叙事詩的な作品群だろう。けれども、長調などで書かれた典雅な作品の中に、ボヘミアの牧歌的風景には納まりきらない、中世からの古都プラハの風景が描き込まれているように思う。


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by antonin | 2009-07-26 23:26 | Trackback | Comments(4)

音楽の話

最近は、本を読んだりニュースを見たりしていろいろと考え事をしたり、子供と遊んだりということ以上の趣味がないのだけれども、一応履歴書的には「趣味:音楽鑑賞」というのも入るような気がする。

最近はほとんどCDも買わなくなったし、シリコンオーディオなども持っていないのだけれども、CD-RにMP3を収めて通勤途中にポータブルCDプレーヤーで音楽を聴いたりはしている。最近SONYのノイズキャンセルタイプのヘッドホンに変な雑音が乗るようになってしまったので、ヘッドフォンをそろそろ買いなおさないといけない。が、Panasonicのプレーヤー自体は当分乗り換えるつもりがない。

最近はプロセッサの性能が上がってきて、CDDAからMP3のエンコードなどもかなり時間が短縮されてはきたのだけれども、お気に入りの古いCDだとCDDBにメタデータがなくて、エンコード時間の数倍の時間をかけて自分で曲名などを登録しなくてはいけなくなったりする。また、そうするにしてもメタデータの項目がクラシック音楽には不適だったりして、結局面倒でCDDAのまま聴いたりしている。そんなわけで、エンコードデータしか再生できないデバイスだとまだ問題がある。単三型のNiMH電池が使えるというのも重要なポイントになる。

ランダム再生などだったらそれはそれで構わないのだけれども、ファイル単位でシャッフルされると非常に困る。ファイルは普通楽章単位になるが、ひどい場合にはひとつながりの演奏が複数のトラックに分割されているようなディスクもあるので、そういう場合には更に困る。フォルダ単位(曲単位、あるいは演奏者単位)でシャッフルしてくれるようだと、メタデータなしで放り込んでしまっても聴けばわかるのである程度楽しめるのだが、そんな機能を持った機種はあるのだろうか。

ジョージ・セル指揮のクリーブランド管弦楽団による交響曲が終わったあとにアヴリル・ラヴィーンのアルバムが来る程度ならまだ許せるが、まず第3楽章のスケルツォが来て、その次が"Nobody's Home"とかいうレベルの刻みっぷりだと、落ち着いて聴いていられない。そこまで極端ではないにしても、マックス・ブルッフとピョートル・チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が楽章単位で混ざるというレベルでも、全く落ち着かなくなる。諏訪内晶子がチョン・キョンファに切り替わったりしたらなおさらだ。

かといって、ドヴォルザークの弦楽四重奏曲全集と交響曲全集を通しで聴くのもさすがに長すぎる。収容曲数が多くなるのであれば、ある程度気分によって再生の流れは変えたい。が、完全ランダムというのも現実的ではない。Appleの「iPodなんとか」なら、そのあたりの「ユーザー・エクスペリエンス」には配慮されているのだろうか。iTunesのショボい曲目リストから見る限りでは、あまりその方面は期待できそうにないのだが。

そんなわけで、最近は一枚のCD-Rに10時間分程度の曲を収め、循環させて聴き続けている。時々飽きると引き出しから適当なCDを引っ張り出してきて聴いたりしている。通勤の片道程度ならこれで十分であることが多い。休日にCD-Rの編成を考えて、エンコードを繰り返して、使いにくいメタデータを入力して、CD-Rを焼いて、ラベルを印刷して、なんてことをする精神的な余裕が、最近はない。

クラシック音楽の最大の弱みは、新曲が出てこないということであり、また似たようなものが出てきたとしても、それが自分の好みに合致するとは限らないというところにある。演奏は常に新しいものが出てくるけれども、曲としてはほとんど出てこない。演奏にしても、個人的な原体験である60年代アメリカあたりで流行したドラマ的な演奏に比べると、最近のはどうも端正すぎて面白くない。録音の質はいいのだけれど。

となると、新しい音楽を求めようとすれば今まで自分が聞かなかった領域に足を突っ込んでみるしかないということにならざるを得ない。とにかく曲目だけなら無限に近い数がある。一口にクラシックと言っても、近現代からロマン派、古典派、バロック、ルネサンスと、時代的にも多様だし、演奏形態でも管弦楽から室内楽、独奏、歌曲、それにオペラなんていうものもある。ただ、日本で言う「クラシック音楽」に属する音楽ならなんでも楽しめるかというと、もちろんそんなことはない。

日本の音楽というのはある程度構成が単純で、天皇家やお公家さんの音楽なら隋唐の宮廷音楽、武家なら能や狂言など南宋仏教あたりに由来する音楽、農家などの大衆ならヨナヌキの地場民謡というように、ある程度毛色がはっきりしている。今の日本にしても、それらの上に文明開化期の音楽化が愛したスコットランドあたりの民謡や、ヘーゲルだとかマルクスだとかの思想と似た経路で流入したらしいドイツ音楽が基礎にあって、その上にジャズとロックが折り重なって、比較的くっきりした地層を形成している。津軽三味線とか演歌とかでは、地層の狭間で若干のマイグレーションが見らるようで少し面白いのだけれども。

私の場合は、基本的に明治の唱歌と同じ、西欧辺縁の民族音楽に根ざした地層に住んでいる。長調が苦手で、短調に酔ってしまったりする。その他の地層に属する音楽に対しては、つまみ食い的に楽しむことは出来るが、継続的に聴き込むところまでは、どうやら難しいような感じがする。

「安敦」とか"Antonin"というハンドルがアントニーン・ドヴォルザークに由来しているとおり、高校生くらいの頃にはずいぶんと入れあげたし、今でも手持ちのCDの20%くらいはドヴォルザーク関連だったりする。その上、実際の再生時間の比率で言えば40%程度はドヴォルザークになる。あまりに偏っているような気がするので、知らなかったが実は有名な曲のCDを買ってみたり、他の人が薦める曲のCDを買ってみたりしたこともあったが、1回聴いてそれっきりというものも多くて、実際には余り幅が広がっていない。

ならばということで、ドヴォルザークの範疇の中で幅を広げる、つまり、今まで聞かなかったオペラなどの分野で音源を捜してみる、というようなことを試したこともあったが、ドヴォルザークのオペラとしては一番有名な「ルサルカ」でさえも、検索して出てくるのは「白銀の月よ」(あるいは「月に寄せる歌」とも)というアリア一編くらいで、だいたいソプラノ歌手のアリア集の一部として採録されているに過ぎないというような有様だった。「白銀の月よ」を聴いてみたこともあるけれども、それほど印象には残らなかった。

YouTubeで検索してみると、

YouTube - Rusalka Final Scene I
YouTube - Rusalka Final Scene II

などといった動画が見つかるのだけれども、いかんせんチェコ語で何を言っているのかさっぱりわからない上に、ルサルカのストーリーなども知らないので、全く楽しめない。

こういうことを言うと、「オペラはやっぱりヴェルディ」とか、あるいは「ヴァグナーを聴け」というような意見が聞こえてくるのだけれども、ドヴォルザークでさえ無理なのに、イタリアやドイツのオペラなんて本当に無理、というのが正直な感想になる。同じスラヴ系で「エフゲーニ・オネーギン」だとか「ボリス・ゴドゥノフ」とかをNHKのテレビ放送で見たこともあるけれども、やっぱり退屈だった。

そもそも力が入りすぎるオペラ歌手の発声法自体がかなり気持ち悪く感じられ、このあたりは、たとえドヴォルザークを切り口にしても乗り越えるのが相当に難しい壁なのかもしれない。ベートーヴェンの交響曲第9番は好きだけれども、やはり「歓喜の歌」で有名な第4楽章よりは、緊張感あふれる器楽である第2楽章のほうが好きだ。

ただ、結局お芝居にならざるを得ないオペラではなく、「スターバト・マーテル」や「モラヴィア二重唱曲」のような歌曲とかならどうなんだろう、という気持ちも少しはある。かつてNHK-FMで流れていたのを聞いたことがある「ジプシーの歌」では、有名な「母の教え給いし歌」はそれほど印象に残らなかったが、「ああ、我がトライアングルは高鳴る」は結構いい歌だった記憶がある。歌曲版の「糸杉」などもいいかもしれない。

この歳になると、なかなか新しい趣味に手を染めるというのは難しい。が、同じものばかりでも退屈という気持ちもまだある。読書のほうでは、さすがに学生時代に読んだ本のように「世界観が覆る」とかいう程に劇的な出会いはないにしても、それにしても感心できる良書を読む機会はまだまだ多い。音楽のほうでは最近そうした出会いが非常に少なく、もうちょっとなんとかならないものか。

高校生の頃はNHK-FMをエアーチェックしてさまざまな曲を無料で試聴するチャンスがあったし、大学時代はドヴォルザークの曲を買い漁っていれば次から次に好みの曲にぶち当たったので問題がなかった。先に引き合いに出したアヴリル・ラヴィーンというのも、新大陸を求めるような試みの中で仮に購入してみただけであって、別に好んで聴くに至ったわけではなかった。

年齢を重ねるということはたいてい良いことばかりを自分自身にもたらしてくれたけれども、音楽についてだけは困っている。育児が完了したら、また演奏会巡りをするという楽しみも出来てくるのかもしれないけれども、それまでは、いったいどうしたものやら。
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by antonin | 2008-03-02 01:19 | Trackback | Comments(0)


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