by antonin
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宗教というものは、どうしても胡散臭い部分が目立つものである。理性と感情の、別の表現をすれば前頭葉と大脳辺縁系の戦いにおいて、前者が勝つように努力するための手法が宗教である。だとすると、その戦いの実況というのは外面からは見えない。その戦いに勝利すれば、高ストレスの局面で正しく判断や行動ができるという結果が現れるのだが、外から見えるのはその結果でしかない。形として見えない内面の戦いを強調する宗教というものには、常に誤解が取り巻いている。 内面の戦いにおいては、そういう戦いに困難を覚え、なんとかして勝利の方法を得たいと願った、つまり「発心」した者にだけ勝利へ導く方法を教えればよく、残りの場面では粛々と内面の戦いを続けながら一つでも多くの勝利を得て、外面に見える利益を示し続けるよう努めるしかない。であるので、方法を学び、それがどのようなものであるかを考えている段階であれば、あるいはいろいろと語ってみるのも良いのかもしれないが、ある程度それを習得したならば、あとは黙々と実践を生きることになるのだろう。 真言の先頭に「オン」という句が付くことが多いが、これをラテン文字で表記すると、"oM"とか"aum"というようになる。AUMというとオウム真理教が用いた表記であり、オウム真理教が範としたタントリズムというのは「後期密教」とも呼ばれ、真言宗がその発生時点で導入した「中期密教」にも、その萌芽は既に現れているという。意識、言葉、所作の三つをあわせて利用するのが真言密教なのだけれども、そのうち所作による効果を極限まで利用するのがヨーガであり、真言密教の経典にも「瑜伽」という言葉で登場する。 そういう具合であって、禁欲的な出家の教義だった初期仏教が、生命力あふれる民衆の宗教に着陸する過程にある密教というのは、どことなく危険な要素が多い。そしてそういう傾向があるからこそ、然るべき修業を終えて、正しい理解をした人間にのみ全貌を伝え、一般民衆にはそれぞれの苦しみの内容に合わせた加持祈祷や説教で適宜苦しみを除いてやるというのが、「金剛乗(ヴァジラヤーナ)」の避けられない性質なのだろう。 それを我流でやってしまって暴走すればオウム真理教のようになるというのは明らかな結果が出ているわけで、たとえ長い歴史のある真言宗であるとはいえ、あまり声を高くしてその教理を云々してはいけないのだろう。 強力な道具というのは、それ自体は善でも悪でもないが、善に振れるにしても悪に振れるにしても、その振れ幅というのは大きなものにならざるを得ない。良薬というのは、用量用法を誤れば、たいていが毒物となる。密教の真髄が秘密であるのは、その効能の強力さゆえということが言えるのかも知れない。
by antonin
| 2010-05-17 03:00
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