by antonin
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かなりどうでもいい話。 最近はあまり特定のblogを購読と言うか定期アクセスしたりする習慣が消えたのだけれど、tumblrのdashboardなんかを眺めていると、ときどき特定のIDから特定blogの記事が引用されたりしていて、まれにリンク先へ飛んで全文を読んだりする。今回もそんな具合で「極東ブログ」の記事を読んだ。 吉本隆明の言う「精神の速度」について: 極東ブログ ここで言う「精神の速度」というのは、「熱い社会」と「冷たい社会」の比喩で言う温度パラメータのようなものを指すらしい。熱力学の温度パラメータの場合だと、微視的には気体定数がボルツマン定数に化けて分子運動の平均速度の大小というあたりに落ち着くので、そういうものと対比したときの「速度」ということを言っているのだろう。まあそこらへんの主題は、私が吉本隆明という人を面相以外ほとんど何も知らないということもあって理解出来ない部分が多かったけれども、今回の私のネタはもっとずっと皮相な部分で、正月休み以降ちらほら目にする「つらつら」という言葉をここでも目にしてしまったことだった。 安敦誌を始めて間もないころ、知っているようで実は意味に確信が持てないような言葉をいくつかネット辞書に入力して遊んでみたことがあった。 安敦誌 : わたしの知らない日本語 つらつら 【▽熟▽熟/▼倩▼倩】 こういうのを辞書で調べてきて、現代人の多くが「誤用」しているなどと言ってあげつらう態度は私自身の嫌うところであって、日本語のネイティブスピーカーたる現代人の過半が新しい意味でその単語を用いていたら、もうその単語の意味は日本語において不可逆的に変化したのであり、むしろ辞書のほうが最新の用法を参照して改訂されるべきだと思っている。なので、finalventさんのような知識人が「つらつらと」を「熟熟と」という感じではなく「たらたらと」に近いニュアンスで書いていたとしたら、それが正しいものとして読むべきものだと思っている。 ただ、なんというか、知らなきゃいいものを知ってしまった面倒というのか、「つらつら」という、オノマトペだかなんだかよくわからない島言葉風日本語表現を目にするたびに、私の脳内で「たらたら」というイメージと「熟熟」というイメージの両者が同時に提示されてしまって、その前後の表現を読んでどちらの意味と取るべきなのか精査するというのが、半ば義務的な習慣になってしまった。「つらつら」を書いた主がお気楽父さんみたいな人物であれば、「熟熟」という選択肢は半自動的に棄却されて楽なのだけれど、問題は「だが私の精神・感性はそれを肯んじはしなかった」みたいな文章を書く知識人がその主である場合で、この場合には果たしてどちらの意味と取るべきなのか、ある程度前後の文脈を慎重に読み込むことが要求されるという厄介が生じる。ちなみに「肯んずる」は「がえんずる」と読むらしい。読みがわかってなお聞いたことがない言葉というものに久しぶりに出会った。意味はまあ、字面から肯定と知れるからまだいいのだけれど。 今回の事例では、冒頭に「正月ぼんやりとだが、『精神の速度』ということを考えていた」という一文があり、どうやらfinalventさんは正月にはぼんやりしていたらしいから、「つらつら」の部分も「熟熟」とは考えなくてよさそうだ、と結論した。そこはまあどうでもいいのだけれど、仮に「つらつら」の辞書的な意味がfinalventさんのような人物の耳に入った場合、その前後で果たして同じように「つらつらと」という文を書き続けることができるものだろうか、というのは少し興味がある。もし仮に辞書的意味を知らずに習慣的に使っている言葉なのだとしたら、是非耳打ちしてみたいという意地悪な衝動に駆られるが、まあ放っておくのがいいのだろう。 私自身は「つらつらと考えていた」みたいな表現を元から使わないほうだったので、辞書を引く前後で文章に変化が生じたりはしなかった。しかし、あの「ら抜き言葉」騒ぎ以降、実際に一段動詞とラ行五段動詞の区分についてかなり慎重になってしまったという経験もあるので、もし仮に「つらつら」遣いであったとしたら、もう面倒だから「つらつら」なんて書かない、という選択肢を取っていたんじゃないかと思う。「食べれる・しゃべれる・ミニストップ」あたりは全く抵抗がないが、「教えれる」とか「潜られる」なんて言葉を耳にしたときは、余計なことを言わないようにと、ちょっと無口になってしまったことがあった。ら抜き言葉についてはATOKが鼻につくCMを打っていた頃の記事があるので、そちらを引用して結。 安敦誌 : 日本語テスト
by antonin
| 2012-01-08 23:49
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