by antonin
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先日、気まぐれに地元の図書館まで行ったが、本を入れられる大きさのカバンを持っていないことに気付いたので、日暮らし書架の本を読み歩いた。しばらくそういうことをして、興が乗ったので読んだ本の関連書籍を検索してみると、本館にしか蔵書されていないらしい。まあいいや、ということで新聞コーナーへ移動した。国内主要紙と一緒に人民日報やら朝鮮日報やらも置いてあるので、軽く眺める。人民日報はそっけない広報紙のような内容だが、朝鮮日報は広告なども載っていて面白かった。文章は読めないが、広告に「ロッテマート」と書いてあるという程度のことはわかる。そういう、海外のストリートビューを眺めるような遊びにも飽きて、週刊読書人というのを読むと、マンガが紹介されている。ナンセンスものなのだが、テーマが巨大数なのだという。 上のAmazonリンクは紙書籍しかないが、pixivでも読めるらしい。 寿司屋は絵にする上での単なるツールといった扱いを受けていて、内容としてはほぼ純粋に巨大数の紹介になっているらしい。冒頭を少し読むと、二項演算の説明あたりから始まり、ふぃっしゅ数の軽い紹介をしている。ふぃっしゅ数というのは、以前読んだ巨大数論の著者さんがかつて2chの数学版で検討したというもので、有限時間で計算可能な、チューリングの計算可能関数のテーゼをはみ出さないギリギリの巨大数関数というものだ。これは過去に紹介したことがある。 そのPDFもしっかりとしたフォーマットの第2版になっていて、オンデマンド出版されたものをAmazonから買えるようになっている。 お父さん今日はリンクいっぱい貼ってみたぞ。 で、Wikipediaの該当項目なども当時より内容が豊富になっていて、それはそれでいいのだが、個人的には巨大数の「巨大さ」には実はあまり興味が無かったりもする。それよりも、数論の発展として、自然数→整数→有理数→実数→複素数ときて、いったいその先はあるのだろうかという疑問が先立っていた。 加算だけなら自然数で閉じるが、減算を導入すると負数が要請されて、整数が生まれる。乗算だけなら整数で閉じるが、除算を導入すると分数が要請されて、有理数が生まれる。累乗だけなら有理数で閉じるが、累乗根を導入すると虚数が要請されて、複素数が生まれる。累乗は交換則が成立しないので、もう一つ、対数という逆演算が出てきたが、対数は特に新しい数の空間をもたらさなかった。定義域の限定などもあって、ひょっとすると現代数学の対数というのはまだ不完全なものなのかもしれない。 そういう流れがあって、二つの疑問を持っていた。ひとつは、「実数とはなんだろう」というもの。無理数というのは有理方程式の解ではない数というだけの意味であって、実はその定義ははっきりとしない。一応複素数は無理数の中には収まらないということになっていて、実数は1つの数直線に乗っていたるところで大小比較が可能でないといけないという限定がある。けれども特に多項式方程式から要請されるという限定もなく、超越関数の解であっても構わない。虚数がimaginaryなのに対して実数がrealというわりには、実数というものもあまり実感の湧かない定義をされている。 もうひとつは、「複素数の次があるとしたら、どういう数になるのだろう」というもの。対数があまりいい感じの数を導入できていない現状なので、複素数を要請した累乗根の方に注目すると、演算としては「その次」を簡単に考えることができる。それはテトレーションの逆関数のうちのひとつ、超根(super-root)になる。累乗根の次に来る超根が閉じるために、複素数より広い新たな数論的な空間が要請されるのかどうか、もしそういう空間が必要なら、それはどういう次元を持つのか。複素数と同じように2次元空間に収まって2個の実数の直積で表せるのか、それとも2個の複素数の組を使った4次元になるのか、あるいはそのうち1次元が縮退した3次元空間になるのか、と、そういう疑問を持っていた。 減算が負数を要請したとき、本来であれば a + b = c の逆演算である a = c - b というのは、a = f(c, b) という2項演算で終わっていても良かった。けれどもこれには、 0 - 2 = 1 - 3 = 2 - 4 = 3 - 5 = ... という同値関係が見つかり、 したがって a = c - b = f(c, b) = f(c - n, b - n) という重なりが生じた。ここで、a は自然数の範囲をはみ出す負数に限定すると必ず b > c となるから、n に c を入れて自然数 b - c を d とすると、 a = c - b = f(c, b) = f(0, b - c) = f(0, d) というように、片側が必ず0になるような変換が可能になる。二項演算の片側が固定なら関数のほうへ取り込んでしまえばいいので、 f(0, d) = f0(d) = -d という具合に記法を簡略化できる。-d というのは演算子を使った f0(d) の簡略記法である。つまり単項演算子としてのマイナス記号というのは「0 - x の答え」という定義になっていて、 3 - 5 = -2 という式は「3 - 5 の答えは 0 - 2 の答えと同じ」という意味になる。その答えは自然数の範囲を超えて、-2 という新しい数になるが、同値関係がなければ 3 - 5 と 0 - 2 は f(3, 5) と f(0, 2) という異なる二つの数、それも二つの自然数の直積で表される2次元の数になっていたはずだ。本来二次元になる「a - b の答え」という値が要請されたのだが、実際の整数は同値関係によって縮退して1次元に配置可能な数になった。しかも、同じ同値関係が自然数との連結も要請して、半直線であった自然数と新しい半直線である負数は、互いに 0 で接して両無限の直線を作った。これは実は不思議なことだ。 同様に、a × b = c から a = c / b という逆演算が生まれて、「m / n の答え」を表す分数が要請された。分数の定義には二つの自然数が使われているので、これも本来的には2次元の広がりを持った数になっても良さそうだったが、実際には約分という同値関係と分数の大小関係から、分数は整数と整数の間を埋める数になるという性質が導かれ、分母と分子という2つの整数で定義される有理数はなぜか稠密な1次元の直線を作った。これもまた不思議なことだ。 同じことを繰り返し、ab = c という累乗演算から累乗根 a = b√c という逆演算が作られた。 b√c というのは「c の b 乗根のひとつ」という関数の演算子による簡略表現なのだが、この関数は実は f(b, c) ではなく fb(c) という形をしている。これもまたオイラーの美しい式によって z = x + yi という形に縮退するので、b乗根のようなややこしいものは通常考えなくて済む。虚数単位 i というのは「-1の2乗根のうちのひとつ」を表す記号なので、b√c という二項演算が本来持っていた広がりに比べるとやはり縮退しているのだが、こうして生まれた複素数は最終的に1次元には収まらずにガウス平面という2次元空間を作り、ここで初めて数の作る空間の次元が上がった。 有理数に無理数を加えた実数のほうは有理数と同様に稠密な1次元の直線を作るのだが、その「濃度」は有理数よりも大きいということになっている。その前提の下では、ある同じ値に収束する無限有理数列(コーシー列)は、その極限値を共有するという関係で一つの集合を作るのだが、現代の数学ではこの集合こそが極限値にあたる実数要素の正体だということになっているらしい。この結論には個人的に納得しきれていないのだが、今の公理ではそう結論するしかないね、という気はしている。ここをひっくり返すには、解析学のご本家でありヘビーユーザーでもある物理学とご相談、ということになるだろう。 こういう具合に、二項演算の逆演算で求まる数というのは本来、2個の数の直積から成る空間を張るはずなのだけれど、元の演算が持っていた性質から延長される同値性によって、空間は縮退する。だから複素数のテトレーションが定義できたとすると、その逆関数が要請する新しい空間は本来的には2個の複素数の直積、つまり4個の実数が張る4次元空間になるのだけれど、その次元のいくつかが縮退して、2個か3個の実数が張る空間になる可能性がある。テトレーションに強力な規則性があれば、同値解が容易に見つかって「複素数の次の数」は複素数より濃度の大きい集合として2次元に収まるかもしれないし、逆にめぼしい規則性がなければ単純に4次元空間を張るかもしれない。加減乗除への適合性からすると、四元数に少し手を加えたようなものに落ち着くのかもしれない。 それ以前に、群→環→体ときて、そこに冪乗や指数という第5の演算を追加したような代数系を見たことがない。その逆演算になる複素根や複素対数については、抽象代数論というより具体的な複素関数論としてもまだ充分に練られていないのかもしれない。四元数は非可換の多元体ということになっているが、そこでは乗算が非可換になってしまっている。その前にまず一般化された複素数、つまり乗算については可換で、そこに加えて非可換な指数演算についても閉じた代数系が必要になる。それがあって初めて、逆演算を追加したり、非可換なテトレーションを追加したり、という話ができるようになる。 フェルマーの大定理や四色問題のように、数学の世界では3とか4とかで発展が打ち止めになるような規則は多いから、同じことの繰り返しで高次元の世界を模索しても無限の多様性を見せてくれるとは限らないのだが、数そのものを拡張してしまうことで、これらの定理に反例を持ち込み、高次元の世界でも単調な乱雑さから脱出できる可能性もなくはない。そうなれば、10年以上前に匙を投げられたような状態にある複雑系の解析にも、道具として使えるようになるかもしれない。 今世紀の数学者たちには「複素数の次の数」の性質をいろいろと調べてほしいと思っているのだが、私が知らないだけで、ひょっとするともうどこかに断片的な答えがあったりするのだろうか。あったとしても、難しすぎて私には読めないだろうが。
by antonin
| 2018-05-03 04:06
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