by antonin
検索
最新の記事
記事ランキング
タグ
雑感(302)
雑談(151) 妄想(126) ニュース(96) 散財(77) web(65) おバカ(59) 検索(54) 親バカ(45) 日本語(41) PC(40) 季節(39) 昔話(35) 信仰(31) 政治経済(29) イベント(27) 言語(25) 音楽(24) 言い訳(22) ビール(15) 以前の記事
最新のコメント
ライフログ
ブログパーツ
ブログジャンル
|
モーリス・ラヴェルに「ダフニスとクロエ」という有名作品があるが、バレエ音楽として依頼されたこの作品は舞踏の伴奏というより大仰な純粋音楽に近い作品として仕上がり、当時はいろいろと批判されたという。ラヴェルは作品に美しい夜明けの描写を含めたが、これに対して「ラヴェルは本物の夜明けを知らない」という批判が届いた。当時のラヴェルは夜型の生活で知られており、夜明けには眠っているだろうという揶揄だった。 19世紀のヨーロッパにはガス灯、アーク灯、白熱灯などの照明が次々に現れて、月に頼らなくとも夜歩きに苦労しなかったというから、20世紀初頭に活躍したラヴェルも現代同様に夜の活動には苦労しなかったはずだが、都市が眠らなくなった現代に比べれば、夜明けを見ないと言う程度で夜更かしが批判されているのは時代を感じさせる。文字や音に魅力を感じる人間にとっては、多くの人が眠っている夜というのは比較的にしても美しい時間である。その美しい夜にも終わりがあり、夜更かしはときどきそれを目にすることになる。闇は消え、窓越しに見える空の色は移ろい、鳥は啼き、空気は冷える。そして人々が起き出して夜が終わる。 幸せな時代の終わりというのは、あからさまに不幸な時代を生きるのとは違った辛さがある。武器を持った敵が迫り、家が焼かれ友や家族が死んでいく中では、ある程度人は生き抜く力を持つようにできている。ところが、食べるものにも着るものにも困らず、文字や音を愛でた時代のあとに余裕がなくなり、普通の人々が次第に殺気立つ時代というのは、夜明けを迎えるのに似た悲しみがあり、そしてその悲しみは朝になって目を覚ますことしか知らない人々には決して理解されない。 仏教に六界という考えがあって、輪廻の中で人間というのはその上から二番目、人間界というところに滞在しており、死ぬと次にはまたそのどこかへ生まれ変わるとされる。仏教の目標はブッダになることで、ブッダになるということはこの輪廻そのものから抜け出ること、つまりは解脱というものだった。ブッダその人は相手に合わせた言葉を使う人だったから、相手に合わせて輪廻を説いていたものの、人の話にしか現れないような世界をそのまま信じるタイプの人物ではなかったようだ。 その正統を引いたインドの仏教は滅亡したが、日本にはその滅亡の少し前の、今でいうヒンドゥー教に完全に飲み込まれる寸前の形をした、密教と呼ばれるものが唐を経由して伝わっている。その密教には、六界の最上である天界から魂が抜けつつある兆候を見せるときの苦しみが、六界の最低である地獄の苦しみの十六倍で最も強い、という説がある。 ブッダの没後に精神性を高めていく仏教の歴史の中で「解脱」は難解で超越的なものになり、宗派によっては凡人の解脱までには輪廻の繰り返しの中で禁欲的な修行を続ける必要があるとか、遠い未来に菩薩が如来になるときに引き受けられるまでは決して解脱できないという話にもなった。しかし、原始仏教の時代のものとされる経典に現れるブッダの言葉を現代的に見ると、もっと即物的な、ある種の女嫌いの側面が際立って感じられる。 魅力的な女を見れば女を愛し、女を愛せば結果として人間が生まれてくる。この生まれてきた人間に宿った魂にとっては、生まれてくるに際しての自由はなく、その後を生きる上での全ての苦しみは、この生まれるということに発している。その生まれるということは女を愛したことに発しているのだから、全ての人の生きる苦しみを解決するには、女を愛することをやめればよい。女を目にするから女を愛してしまうのだから、女を目にすることのない生活をすればよい。だから家を出て林で暮らせ。そのようなことを言う。 ブッダは北部インドにあった初期共和制のローマに似た寡頭制の国で、その寡頭の一角を占める家系の長男として生まれたが、長じて男子が生まれたところで家を継がずに出家してしまう。結局その家系は没落し、後日妻子が、その頃には宗教指導者として諸国の王に取り入った生活を営んでいたブッダを頼ってやってくる。仕方がないので女は女だけの集団を作って同じような生活をさせたが、息子は自らの教団に含めた。この息子はブッダの死後に十大弟子に数えられるまでになるのだが、そのいくつかある尊称のひとつは「忍辱第一」とされている。彼はどういう気持ちで「子を成すな」という教えを説く父の元で暮らしていたのだろうか。 芥川龍之介の遺稿を眺めていると、自分はヨーロッパ人のように自殺を罪とは考えない、というようなことを書いている。初期の幻想的な作品と違って、晩年には作家を取り巻く日常を漠然と描写したような文章が増えている。雑誌の編集者に文章をくれと要求されて一度は断るが、編集者があまりにもしつこいので、ではこのやり取りを書かせてもらうがいいのかといって、本当に書いたがさすがに没になったというような未定稿もあった。作家も有名になりすぎると、こういう没原稿や、ひどいと友人や恋人への手紙なども死後に出版されて売り物にされるので気の毒だ。 そういう、有名な作家が書いたというだけであまり作品として崇高とも思えない文章の中に、スナップ写真に写り込んだ背景のような時代の様子が描かれることがあり、現代から見ると興味深く見えることがある。「歯車」という作品に、回転する半透明の歯車のようなものが作家の視界に紛れるという描写があり、それに続く頭痛の話と合わせて片頭痛の症状だろうと見る説がある。同じ作品に、一時的に裕福にしていた人々が没落した様子も描かれている。 ヨーロッパでは第一次世界大戦が大正3年から7年にかけて起こり、その巨大な組織戦にまつわる資材調達は東洋にも及んだので、日本にも戦争成金というものが発生したという。戦場は広がり、多くの土地が焼けて多くの人が死んだが、戦場から遠かった日本は好景気に沸き、この時期には多くの雑誌が創刊され、フィクション、ノンフィクションを問わず、多くの文章が求められたという。大正デモクラシーのような進歩的な空気が生まれ、芥川龍之介はそういう空気の中で大正4年に小説を発表し始め、世に認められていく。 芸術家というのは、特にその作品が高度なものであればあるほど、清流の中でしか生きられない魚、あるいは炭鉱のカナリヤのようなもので、環境が乱れると誰よりも先に苦しみ、あるいは死んでいくものなのかもしれない。歴史に名を遺すような偉大な芸術家に限らず、役に立っているのかどうか定かでない学問を専攻する学者や、いつ利益を上げるのか知れないような開発をしている企業の研究員なども含めて、豊かな社会に飼育された愛玩動物のような存在なのかもしれない。 そういう者たちが、徐々に豊かさを失う社会の中で苦しんで死んでいくのは仕方がないことなのかもしれない。天界に生きてきた中で輪廻から解脱できなかった報いなのかもしれない。大戦景気の終わりには芥川龍之介が死んだが、景気後退の折々に芸術家が死んでいたのだろう。バブルの終わりなどを見ると平成9年に伊丹十三が死んでいるが、似たようなものと見ていいのだろうか。ドヴォルザークがニューヨークで神経衰弱に近い状態になったのも、ボヘミアの自然を愛した芸術家が都市に倦んだこともあるだろうが、機関車好きという趣味もあった彼が衰弱した根本的な理由は、彼を招聘したサーバー夫人が恐慌に巻き込まれて経済的に疲弊したからだと考えることもできる。 歴史に名を遺す芸術家にしてそのような状態なのだとすれば、特に際立った才能のない、流行に乗った芸術家が、特に際立った血統のない、流行に乗ったペットのように処分されるのは、それは当然のこととして考えるしかない気もしてくる。退廃芸術を焼き、障碍者を焼いたヒトラーも、経済的困窮が生み出した民主主義の当然の帰結にすぎないとすれば、それほど責められたものでもないようにも、今なら思える。時代劇の中で人世の生き血を啜ると痛罵され斬殺されていた悪代官も、舞台の背後では芸術を愛するパトロンであり、人に憎まれる方法で肥やした私腹から芸術を支援していたと、想像をたくましくすることもできる。 平和を愛しソフトパワーを輸出したとされる戦後日本だが、その復興の初めには朝鮮戦争の特需があった。第二次大戦では日本も戦線を広げ自ら多くの爆薬を消費したが、大正デモクラシーには第一次大戦の特需という面があったのだろう。失われた20年のあとで日本はすっかり貧しくなったが、それ以前の好景気も、ひょっとするとイデオロギーや石油をめぐる遠い国の戦争から恩恵を受けていたのかもしれない。 ソクラテスまでの時代のアテネにおける学問と芸術の繁栄にしても、戦争を勝ち抜いて敗者を奴隷にし、労働を押し付けた結果としての自由が生み出したものに違いなく、そういう好景気の中でしか生まれない学問や芸術それ自体が、実は本質的に人の血をすすってしか生み出され得ないものなのであって、ミューズへの捧げものは、本当は働く人の血と涙なのかもしれない。
by antonin
| 2018-06-04 02:15
|
Trackback
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||