by antonin
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ガイウス・ユリウス・カエサルという人がいた。古代ローマを共和制から帝政に大転換させた人物であるが、こういう人は政治や戦争だけでなく、いろいろな業績を残す。そのうちのひとつが、ユリウス暦だろう。 現在日本で使われている暦は、年号に関しては和暦と西暦の二種類があるが、月日に関しては西暦に統一されている。この暦は一般にグレゴリオ暦と呼ばれているもので、ローマ教皇グレゴリウス(グレゴリオ)13世によって発布された暦ということになっている。4年に1回の閏年と、100年に1回の例外年と、400年に1回の例外の例外を導入した暦で、太陽年、つまり、遠方の天体が作る天球に対して太陽の位置が一周する期間に対して、3000年に1日程度のずれに収まるという。 このくらいの精度になると、何をもって1年とするかの定義が大変ややこしくなり、地球から見て同じ時刻に同じ位置に同じ恒星が見える周期である恒星年と、太陽が天球上で同じ位置を通過する周期である太陽年では こうした変化は遠方の天体が発する電波の長距離干渉やその他の天体観測などによりミリ秒以下の単位で計測されている。現在では世界に散在する原子時計の相互補正により国際原子時という固定した時間が定められており、それとは別に、観測される太陽の位置に合わせた補正を行う閏秒の挿入などにより、グレゴリオ暦は現在も発布当時と同じルールで太陽暦としての体面を保ち続けている。 これに対してユリウス暦は、4年に一度だけの閏年を定めた太陽暦で、現実の太陽年に対して130年余りで1日のずれが生じる計算になる。これはたいしたことが無い誤差のように思えるが、文書の蓄積により厳密に日月の記録を残すようになったヨーロッパ世界では、ユリウス・カエサルが暦を改定したとされる紀元前45年から、教皇グレゴリウスが暦を改定した1582年までの1626年の間には、12日あまりの誤差が蓄積していた計算になる。 おそらく冬至や春分などの祝祭日と天体観測上の観測値のずれが改暦の動機となったわけだが、同じことがユリウス暦の発布当時にも発生していた。 当時の地中海世界で抜群に高度な文書記録と数学算術知識と天文学が発達していた文明といえば、間違いなくエジプトであった。当時、領土拡大政策というより、たまたま優れたシステムが他を焼き尽くしたというような感じで地中海世界に広まったローマ世界であったが、それを更に高度な帝政に仕立て上げて千年帝国にしたのがユリウス・カエサルだった。 ユリウス・カエサルはラテン名のドイツ式発音で、イングランド式に言うならジュリアス・シーザーになる。塩野七生さんによれば当時のラテン語の発音はもっと現代イタリア語に近かっただろうというが、録音が残っているわけではないのでこのあたりは誰にも証明できない。それはどうでもいいが、ジュリアス・シーザーといえば そして、この野心家の王女に興味を持ったシーザーは、エジプトでしばらく文物を見聞しながら、クレオパトラとともにナイル川クルージングを楽しんだという。のちに同様にクレオパトラと交わったアントニー(マルクス・アントニウス)が完全に恋に落ちたのに対し、シーザーはナイル・クルーズの最中でも、エジプトやローマのための法案などを記述していたらしい。 そこで纏め上げられた法案のひとつが、太陽信仰の国エジプトで実施されていた太陽暦を広くローマ帝国の共通暦とすることだった。ここで、ユリウス・カエサルとクレオパトラの物語が、現在の太陽暦、それも閏年を持った太陽暦に結びついてくる。 ユリウス暦発布以前の地中海世界では、主に海洋民族であるギリシャ人が使っていた、月齢をもとにする太陰暦が使われていたのだという。初期のローマもこれに従っていたが、ローマが確固とした国家制度を整備するに従い、文書として厳密に記録され運用された暦と、現実の冬至や春分などの祝祭日と合わなくなっていることが次第に明らかになり、その差は最終的に3ヶ月近くに及んでいたという。 ローマの太陰暦は王政時代の紀元前7世紀、ローマ王ヌマが定めたもので、月齢による12ヶ月を刻み、ときどき閏月を挿入するというものだった。それ以前にも太陰暦が使われていたようだが、詳細はわからない。ともかく、太陽暦を導入しつつ、積算した誤差を取り戻すため、紀元前46年のローマ暦は15ヶ月を刻んだのだという。ちなみにユリウス暦からグレゴリオ暦への移行では、10日が差し引かれ、10月4日の翌日が10月15日になったのだという。 この誤差の違いは、天体観測の精度の違いとも言い換えられるだろう。今ではこれが1秒以下の誤差となるように、閏秒の挿入により不定期に改暦されているとも言える。 参考: ユリウス暦 - Wikipedia グレゴリオ暦 - Wikipedia ローマ暦 - Wikipedia 「日本標準時プロジェクト」より「標準時・周波数標準のQ&A うるう秒に関するQ&A」 カエサルの構築したローマ帝国は、分断や縮小はあったにせよ、結局1600年ほどを耐え抜いた。暦もこれに準じて継続された。一部地域ではグレゴリオ暦発布以降もユリウス暦やそれに順ずる暦が使われ続けたという。 西暦はこうした断絶をいくつか経過しているので、厳密に歴史を考察するとき、単純な年月日では比較が難しい場面がある。これに応じて、年月日という繰り上がりをやめて、全て連続した日数で数えるという方法が考案された。これがユリウス日(Julian Day)というものであるが、これはグレゴリオ暦発布以降の考案であり、ガイウス・ユリウス・カエサルとは直接の関係は無いという。 参考:ユリウス通日 - Wikipedia その後、ユリウス日は歴史学より相対日数計算を多用する天文学の世界で便利に使われるようになり、1日の中の時間経過も時分秒という繰り上がりを避けて、小数を使ったユリウス日で表すようになった。ただし正式なユリウス日の定義はヨーロッパにおける正午を起点としていたため、日中に日にちをまたぐ形になり、使いにくかった。また、歴史を考証する目的から桁数も大きかったため、後のグリニッジ天文時の午前0時を起点とし、桁数が大きくなりすぎていたのを補正した準ユリウス日(Modified Julian Day)というものが天文学の世界では定着した。 表題はこの記事を書き始めた日時を正式な方のユリウス日で記述したものである。ちょうどロンドンあたりで昼過ぎであることがわかる。ユリウス日に地方時間(Local Time)はない。厳密に言うと特殊相対性理論の効果のため緯度によって時間の進む早さは異なるのだけれども、そのあたりがどのように調整されているかは知らない。上記のユリウス日は下記のページで計算した。 参考:「関東学院大学 - Kanto Gakuin University」より「西暦とユリウス日の換算」 似たような記法がMicrosoftのExcelでも使われており、1900年1月1日午前0:00を0.0とした小数で日時が記録されている。つまり、Ctrl-:(コロン)で現在日時を記録すると時刻がセルに表示されるが、それを日付の表示形式にすると今日の日付に化ける。最終的にCtrl-~(ティルダ)で標準書式に直すと、実体の小数が現れる。単に日付を記録する場合には小数点以下が0となった値が記録される。日本語版のExcelには明治、大正、昭和、平成の境界日を認識した表示プログラムが仕込まれている。昭和64年1月7日に1を足してみると面白いだろう。 これも似たような記法で、UNIXの世界で使われるtime_tという変数の型がある。ほとんどの処理系ではこれはlong intのtypedef名になっていて、1970年1月1日午前0:00を起点として秒単位で数え上げた整数となっている。そしてその多くの実装は32bitとなっている。 これはそもそもUNIXのファイルにつけるタイムスタンプを記録するために作られた変数であり、今日これほど普及するものとは考えられていなかった。そのため、UNIXが開発された1970年初頭からある程度の期間を記述できれば問題が無かったので、1970年1月1日という日付が起点として用いられたのだろう。 この整数は現在広く、しかもシステムの深いところに眠っており、2038年には桁あふれが発生し、正しい日時を表示できなくなるという。しかも、将来のスケジュールを表現しようとすれば、それより早く影響が出るだろう。しかし、多くのPCやサーバマシンでは64bit化が進んでおり、2000年問題も乗り切った現状では実際に2038年問題が起こるとは考えにくいが、どちらにせよ多くのプログラムがメンテナンスの必要に迫られるのは確かだろう。 時間というものは考えれば考えるほど不思議なものだが、それに対応してきた人間の営みのほうもなかなか立派なものだと思える。百年後にはいったいどのような暦を使用しているのか、興味は尽きない。 註:太陽年と恒星年の差は25分程度だという。要調査。 註:シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」にはクレオパトラは出てこない? 要調査。
by antonin
| 2007-08-22 23:20
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