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基本的に、未来というものに希望を持っていない。けれども、基本的に未来というのはそれほど絶望的なものでもないという感覚もどこかにある。 キリスト教の初期には、救済者イエスの登場以降世界に終末が訪れ、全ての人間は生前の善悪に応じて神によって裁かれるという終末思想があったという。いわゆる「最後の審判」であるが、これは現在もまだ訪れていない。現代のキリスト教徒はこれをあまり気にしていないようであるが、イエス処刑の記憶もまだ生々しかった時代には、最後の審判がなかなか訪れないという「終末遅延問題」が、無視できない大問題であったという。 初期のキリスト教徒は、伝統的なユダヤ教徒からも、国家システムの支配者であるローマ帝国からも受け入れられない部分を多分に持っていたので、自分たちは正しく、まもなく神による裁きが自分たちの正しさを証明してくれるという願望を抱いていたのだろう。しかしそうした終末は訪れない。将来に対する漠然とした不安の中で、初期のキリスト教信者は暮らしていたのだろう。 ところが、個人の生涯というレベルに比べれば長い時間が必要とされたものの、最終的にキリスト教はローマ帝国によって公認され、次いで国教に指定され、ついにはヨーロッパ世界全土に広まり、本家ユダヤ教を凌ぐ勢力となって今日に至る。最後の審判はなかったが、これは決して悪くない「将来」像といえるだろう。 現在の日本や地球から読み取れる科学的なデータは、あまり楽観的な将来を予想させないものの、それを乗り切るような人類の知恵、ないしは火事場の馬鹿力のようなものが発揮されるであろうことも、歴史を見ればある程度の確度で予想される。 未来は決して明るくないが、期待しないで待っていれば、それほど悪くない未来がやってくる確率は決して低くない。同じ未来が到来しても、期待しすぎるよりは期待しすぎないほうが、心理的には平穏なものになるのが人間の脳の生理なので、陰鬱になって思考回路が回らなくなってしまわない程度には、控えめな将来予測の中で生きるのがいいのだろう。 今日のメモ: 「未来に待っている“ひもじさ” / SAFETY JAPAN [書評] / 日経BP社」 (読者登録しないと表示されないかもしれません) 未来を予測する現状データは厳しい。が、悲観論と楽観論の間に答えがある可能性は常に高い。来年も今年程度に良い年でありますように。
by antonin
| 2007-12-25 10:09
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Comments(5)
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▽・(◎◎)・▽
at 2007-12-25 15:18
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しんずるも~のわ すくわれるう~ ぶかどんどん
ちょこれと ばなな こかこーら~ どんどん (えーが「わいるど・ばんち」より) とーとー おーさか に ひっこして しまいまひた うふふ
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oki_mo at 2007-12-26 01:32
ふぁぜ、おおさかにひっこしたん?
(って、あんとのブログで聞くなって?笑) 私も未来って、明るいって感じはしないんだけど、絶望的だとも思ってない。 ただ、世の中全体の未来と、自分自身の未来はまた別で・・・自分の未来だけは、明るいものだと常にイメージしていないといけないなぁって感じがするのです(^▽^)
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antonin at 2007-12-28 02:26
いや皆様どうも。
>ふぁぜろ あいやー、あふさかに行ってしまったあるか。阪大の院にでも行くのか? でもなんというか、ネットの上の付き合いなので、横浜だろうが大阪だろうがブエノスアイレスだろうが、特に変わりはないのだよね。(笑) らいねんもよろしう。 >おきちゅー 笑う門には福来るですねぃ。 ジリ貧、ある不動産投資家の憂鬱 - ニュース - nikkei BPnet http://www.nikkeibp.co.jp/news/flash/555916.html みたいな浮かれ方をしない限り、楽観的なほうがいいと思うのですよ、わたくしも。 >NAFどの まだここが読まれていたということに驚き。
読んでますよ、ちゃんと。理解力が追いついてるかは
別物ですけど。単にコメントしてないだけで、読んでますのよ♪
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