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これは、あるいは理解されない意見だろう。 -- かつてこういう議論があった。「いっそ小さく死ねばいい」というのは単なるフレーズであって、そんな木を見ないで森を見ろ、ふてぶてしく生きろということが書かれているじゃないか、という。確かに、理屈としてそれは正しい。精神論として、小さなことにくよくよせず、明るく前向きに、カッコ悪くてもいいからとにかく生きていこうじゃないか、その先にはきっと希望もあるさ。それは論として正しい。 知っている。もちろんそんなことは知っている。理屈としては知っているのだが、実感が伴わない場合というのがある。確かにあるのだが、しかしそういう感情というものは、それを経験したことのない人間にとっては決して理解できないものなのだろう。ほんの些細な言葉に落ち込むことがある。あるいは激昂することがある。無論、あとになって自身でそれに苦しむことも多い。 それは理屈としては知っているけれども、あるいは子供の頃には経験したことがあるけれども、大人になればそんなことはなくなるだろうという実感。その実感に基づけば、些細なことに過激に反応するということは行いが悪いだけであり、知恵がないだけであり、それは説得によって簡単に変えられる。そう実感している人もまた、世には多いのだろう。素晴らしいことではある。 しかし、現実はそんなに甘くはない。感情というのは脳の最も古い部分に直結した働きである。理性によってちょっとした細工をした程度では改まらない。古い部分の働きであるから、先天的なものの影響も大きい。しかし、そんなものを口にしてもそれは恥ずべき言い訳にしか聞こえない。それは行いが悪いだけであり、知恵がないだけであり、それを改めないのは本人の罪悪である。早く改めろよ。そういう話になる。 「いっそ小さく死ねばいい」に、特段に不快感を持たない人が多い。それが大半であるが、多くの人は眉をひそめるだろう。ただし、それ以上の反応はしない。それが正常である。しかし一部の人は、過剰に反応する。「いっそ死ぬべきだろうか」「いや死ぬべきではない」という葛藤と共に何年も暮らしてきた人がいる。感情の激昂を防ぐのに大変な困難を伴う器質的特徴を持つ人がいる。それを耐えるために服薬が欠かせないような人がいる。そういう人に向かっても、「最後まで聞いて欲しい」「自分はみんなに幸せになって欲しいだけだ」という言う人がいる。きっと本心からなのだろう。そこに悪意はない。ただ、感覚的欠如があるというだけだ。 かといって、そういう歌詞を禁止すべきだとも思わない。それはそれとして存在してかまわない。ただ、それを聞くべきではない人に対しては、しっかりと遮断されているほうが、世界はより幸せになるだろう。世の中には蕎麦アレルギーがあって、そば粉を含んだ食品を食べたり吸引したりすると、激しい発作を起こす人がいる。しかし、蕎麦が危険物質として禁止される筋合いはない。それと同じだ。ただ、アレルギーなど甘えだ都会病だと罵って済むのかといえば、そうとも思わない。 現代は急激に情報流通が活発になった時代であり、本来接触すべきでない異文化が盛んに交雑している。そういう中で「混ぜるな危険」という関係にある文化が接触して「炎上」を繰り返しているのだろう。将来的には、そうした不適当な交雑は極力避けられるようなシステムが育ってくるだろう。しかし、それにはまだ時間が掛かる。 私は本来、「素晴らしき日本語の世界」などという特集が組まれている雑誌を読むべき人間ではなかった。それが、軽率にも読んでしまったというところにそもそもの失敗があった。世の中には知らなくていい情報というものがあり、また知らないほうがいい情報というものもある。それは薬にもなるが毒にもなり、やはり用量と用法を正しく守らないと副作用で健康を害してしまう。 「知の欺瞞」という本があるが、理工系の人間は本来、現代哲学の書き物などを読むべきではない。それを読んでしまったところにソーカルさんの悲劇があったのだろう。これは自分にも戒めとしたい。しかし、毒もまた用量を守れば薬となる場合もあって、まぁ程ほどに接していくのが養生の基本というところなのだろう。とりあえずNikkeiBPのサイトは巡回先から外した。 基本的に、快活に愉快に生きているほうが本人もまわりも幸せだ。ただ、どうしてもそうはならない場合もあって、そういう者もあるということは、もう少し知られてもいいかもしれない。基本的に現状どおりの言論があっていい。むしろもっと自由でいい。ただし、それは似たものコミュニティの中に適切に閉じていなければならない。しかし枠を越えなくてはならない状況というものもまた一方にあって、その匙加減は非常に難しい。 明日から遅い夏休みで4連休。本など読まずにゆっくりとしたい。
by antonin
| 2008-09-27 03:50
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