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えー、プロフェッショナル・ドライビングの様子をどうぞ。 Hummerという車はこのHMMWVという軍用車両を民間用に転用したものらしいが、こういう車を所有してやろうというテストステロン溢れる男たちは、きっと心の奥底でこういう走りをしてみたいと妄想しているに違いない、なんてことを妄想してみる。 まぁ若い頃は私もこういう運転をしましたけどね。ゲームで。コーナーで外に膨れている車なんかが前を走っていると、そいつにインからブチ当てると最小限の減速でコーナーを抜けられたりする。もちろん当てられたほうはコースアウトしたり壁に擦れて失速したり散々だが、ゲームなので問題ない。他の人間が運転している車両でなければ。 しかしHummerなんぞに乗っていて、なおかつこういう衝動を抑えながら都心部を走るのはストレスが溜まるだろう。その紳士的な自制心に敬意を表したい。もしこれをやってしまうと「オレ様の大事なHummerにキズが」とかいう事態になるのだが、もしそういった動機であれば、私からの敬意は今ならなんと最大80%OFF。 ■
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by antonin
| 2008-10-11 00:24
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トリプルエックス、という隠語があって、それはそれであれなのだけれども、ここでは単に正規表現の一種ということにしたい。正規が表に現れるということ。 風雲!コネタ城 - デイリーポータルZ:@nifty 林さんがまた面白いことをやってる。いつまで続くんだろうか。 風雲!コネタ城 手書きフォントの記事を見た後に普通フォントの記事を見ると、文字がクッキリ見える - デイリーポータルZ:@nifty これって環境依存だよねぇ、とT斉藤さんをいじめてみる。ちなみにWindows/Safariでリンク先の「普通フォントの記事」表示するとこうなる。 ![]() 全然くっきりしていないよ。ふ~ん。 よし。それじゃコネタ返しだ。 拡大するとカラフルになる文字がある べつやくさんの手書き文字を拡大しても、普通にモノクロだ。 ![]() しかし、Safariのボヤボヤした文字を拡大すると、 ![]() 微妙にカラフルだ。ふ~ん。 まぁサブピクセルレンダリングを使っているので当たり前っちゃ当たり前なんですが。 ![]() @nifty:デイリーポータルZ:インタビュージェネレーター 個人的にはこういうほうが好き。あまり"web 2.0"的なことは狙ってないけど、一応コンピュータじゃないとできないでしょ、これは。この程度の中途半端な道具が好き。そして結果は「マスコミの恐ろしさを思い知らされた」という内容に。素晴らしい。 -- 今日の異口同音: 「夜のバスガール」(107件) なんとなく昭和歌謡っぽい感じに。 「オバンゲリオン」(4090件) 「ヲヴァンゲリヲン」(10件) まぁ、これはパクリネタなんですが。 「微妙に間違えてGoogle検索してみる」 ほう、こういう遊びがあるのか。「異口同音」と同じじゃないか。 13 :名無CCDさん@画素いっぱい[]:2006/09/19(火) 06:10:48 ID:RavSmogO0 これいいな。 "Canon"を"Kanon"に変えると例のアレが大量に出てきてなんとも言えないのだけれども、"Nikon"を"Nicon"に変えると、ちゃんとトップにNikonのサイトが出てくる。ページを開いて"Nicon"を検索しても、当然見つからない。HTMLソースを検索しても出てこない。さすが大手企業のサイトはこのあたりの手際がいいな。 ■
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by antonin
| 2008-09-13 02:16
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小学生の頃、夏休みの自由研究として、区章の一覧を作った事がある。プリントゴッコでシートを印刷し、電話帳から東京23区各区のマークを書き写した。その横に区のデータなどを調べて併記するのだが、当時はwebなどもなく、小学生が自力で各種データを収集するのは難しかった。そこで図書館で調べ物をしたり、24の区庁舎や郷土資料館などを訪れて各区の特徴などを足で調べたりすれば、非常に優れた自由研究になっただろう。けれども私はそんな立派な子供ではちっともなかったので、適当に区章の由来などをデッチ上げて学校に提出した。 当時私は板橋区に住んでいたので、区から配布される冊子などを読んで、板橋区の区章だけは正確な由来を知る事ができた。 板橋区の紋章・コミュニケーションマーク | 板橋区 中央の野球のボールのような模様がカタカナの「イ」と「タ」をあしらったもので、その周りにやはりカタカナの「ハ」が4つ配置されて、「イタハ四」で「いたばし」という具合になっている。「本区の限りない発展を象徴しています」ということになっているけれども、これはまぁタテマエである。輝く四芒星くらいはイメージしているのだろう。この区章がデザインされたのと同時期に制定された区章や全国の自治体の紋章では、このように地名文字を使ったデザインが主流で、似たような文字探しの出来るマークが多い。 板橋区の前に住んでいた新宿区のマークはなかなか特徴的で、新宿の「新」の字を流し書きした形をベースにしているという。 新宿区紋章 このマークが、子供心に「ウルトラサイン」に見えたものだった。いつの時期からだったか、歴代ウルトラマンが実は家族だったというような設定になり、彼らが地球の空にサインメッセージを書くというような設定も追加された。私が幼稚園児だった当時放映されていた「ウルトラマンレオ」の胸というか腹というかそのあたりに、ウルトラサインっぽい記号が付いているのだけれども、これが新宿区章にどことなく似ていたのだった。 ウルトラマンレオ - Google イメージ検索 (適当に探してください) 現在は江戸川区に住んでいる。江戸川区のマークはデザイン的には優れているものの、文字探しという意味ではカタカナの「エ」をベースにしているだけで、特に技巧的なところはない。漢字の「江」もシンプルな文字なので、こちらをベースにしたらもっと面白かったのにな、と思うが、たぶん余計なお世話。 江戸川区 区の紹介 区の紋章 江戸川区も子育てのしにくい都区内においてはなかなか充実した環境ではあるものの、南北に広がった江戸川区の外れに住んでいるので、湾岸地区にある葛西臨海公園などはディズニーランドに遊びに行くくらいの気合を入れないと利用できない。隣接する葛飾区にも良い公営施設がたくさんあり、また特に居住地にこだわらず開放されているので、子供を連れてよく利用したりしている。 葛飾区の区章もカタカナの「カ」をベースにデザインされたもので、いやむしろ、カタカナの「カ」そのものにしか見えない。 区のデータ(葛飾区について、面積、人口・世帯数、区役所について) これは力強い大胆なデザインで好きなのだけれども、最近までは文字探しの楽しみには適さない区章だと信じていた。上記の公式サイトにも、「伸びゆく葛飾区を象徴する意味で「カツシカ」の頭文字の「カ」と(力)(ちから)を併せた意味をもちます」と説明されている。確かに力強いデザインで、「力」(ちから)の意味を持っているというのもよくわかる。形も一緒だし。 だが、このマークを繰り返し見ているうちに、私はデザイナーの秘めたるメッセージを読み取ってしまったのだ。公式サイトにも書かれていないので勝手な想像なのだが、このマークを解釈してみたい。籠目模様の共有から日本人ユダヤ人同祖説を言い出すくらいスリリングな心境である。 まず、自明ながらこのマークは葛飾区の「カ」の字を表している。次に、このデザインを良く見ると、縦棒を無視すれば、その形はひらがなの「つ」であるようにも見える。「カ」の字の払いが大きく造られているので、それが「つ」に見えるのだ。そして最後に、この太い字に見えるデザインは、あまりにも四角い。そう、「四角」なのだ。3つのキーワードを連結してみよう。 「カ」「つ」「四角」 さぁなんと読む。驚くことに、「かつしかく」ではないか!! こんなすごい事が、あのシンプルなデザインに隠されていたとは!! そしてそれを公式説明に表さない奥ゆかしさ!! これぞまさに文字探しの上級アイテムだったのだ!! まぁ本当かどうかわかりませんが、本当だったら面白いですね。制定が昭和26年とあるので、デザイナーさんはもう鬼籍に入られているのだろうか。この戦後5年過ぎという時期は多くの自治体紋章が制定された時期なので、頓知とグラフィックデザインのセンスを兼ね備えた優れたデザイナーであれば、全国にかなり多くの作品を残されているのではないかと思う。 こういう公共財であるデザインにデザイナーの名が添えられる機会は少ないのだが、歌には作詞作曲者の名が添えられる事が多いので、ぜひこうした優れたデザインにも作者名を添えて欲しいものだ。あるいはグラフィックデザイナーとしてはこういう税金仕事というのは必ずしも本意ではないのか。 ピョートル・チャイコフスキーは国威高揚のために作曲を依頼され、ちょっとハイテンションな「1812年」という名曲を残した。しかしあれはプロパガンダ的な作品であって、これをもってチャイコフスキー作品と評価しないで欲しい旨の感想を残しているらしい。カミーユ・サンサーンスも「動物の謝肉祭」に関して似たようなコメントを残しているというが、サンサーンスの場合はチャイコフスキーと違い、これが代表作扱いされているのがかなり気の毒。交響曲第3番オルガン付きのような大作もあるのに、「白鳥」の作者としてしか評価されないのは確かに本意ではないだろうなぁ。 ところで、世界の国旗などはもともとが船の国籍を表すという用途から発しているので、横長の布地を前提としたデザインになっている事が多い。また、細かい模様は見えないが色ならわかるという船舶信号の前提から、シンプルながらカラフルなデザインが多い。しかし一方で自治体の紋章というやつは、形状は定められているものの色は定められていないことが多い。 もちろん自治体ごとのイメージカラーのようなものはあるのだけれども、どれも単色刷りであって、多色刷りが前提の紋章というものは見たことがない。また、長方形ベースの紋章というものもなく、多くが正方形や円形などの天地左右が同寸法のデザインとなっている。デザインの基本思想としては、旗ではなくて印章なのである。こういう紋章の制定というのは、いったい誰がどういうつもりで定めたものなのだろうか。おそらくは、藩主の家紋に取って代わるべきものだったのだろう。 このテーマの自由研究で味をしめた翌年の夏は47都道府県章で同じことをやったが、適当なことを書いていたのがバレて、こちらは低評価だった。翌年は乾球と湿球を備えた温度計を買ってもらい、天気記号、温度、湿度、不快指数などを記入できるシートをプリントゴッコで印刷し、まとめた。あれは結構面白かった。夏休みに雪は降らないので、ヒョウでも降らないかと期待していたがダメだった。天気記号というのも紋章的には面白く、風向記号が付いたりするとまた趣が変わって面白い。 ■
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by antonin
| 2008-08-29 04:14
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極東の島国ニポンが、最近になって深刻な国内問題に陥っている。本日はこの問題について概要を報告したい。直接関係の無い話と思うかもしれないが、我々にとっても重要な示唆を与えるものとなるだろう。(Antonin) ニンジャとゲイシャで有名な神秘の地として知られるニポンであるが、一方では高度な職人芸を好む工業生産国でもある。ニポンは資源に乏しい島国であるが、輸入資源を加工して高い付加価値を与えることで、次第に国際市場で頭角を現した。特に1980年代には、米国の産業を圧迫する存在として脅威と見られるほどに成長した。 しかし、米国の適切な防衛戦略によってニポンの経済成長は抑制され、長い停滞期に入った。米国はニポンに打撃を与えたが、国家を崩壊させないための処方箋として、英米で経済回復に効果のあった福祉支出抑制政策をニポン政府首脳に提示することも忘れなかった。このためニポンは急速に福祉支出を削減することに成功したが、一方で弱体化した産業の保護政策も同時に強化したため、財政収支は改善するどころか史上最悪の状況へと陥るに至った。 しかし、低コストかつ高品質の工業生産力を引き続き必要としていた米国経済は、その役割をニポンの周辺諸国に移すことにした。そのために必要な技術は、産業を崩壊させたニポンで余剰となった技術者や生産設備を流用することにより実現した。このようにして脅威を取り除いた1990年代の米国の国内経済は、再び安定を見た。 一方ニポン国内に目を転ずると、こうした国際経済状況の変化によって、かつてから存在していた種族間対立問題に変質が見られ、また激化が進むこととなった。それまでに存在していたニポン国内の種族対立とは、マン族とウーマン族と呼ばれる遺伝的に異なる種族間に生じたものであった。社会の政治構造および経済構造はマン族による支配が確立しており、これに従属する形であったウーマン族が常に批判を繰り返していた。ウーマン族の自由を勝ち取る運動は「ウーマン・リブ」と呼ばれた。 この対立状況は、1985年にニポン国で「雇用機会均等法」と呼ばれる法律が成立したのを機に変質しはじめた。それまではマン族の牙城であった社会支配機構にウーマン族の参入が権利として保障されるようになり、マン族とウーマン族の対立は徐々に解消されることとなった。しかし一方で、マン族の組織に組み入れられたウーマン族出身者が徐々にマン族の文化に染まり、旧来の文化を守るウーマン族との間に感情的な対立が生じはじめた。ここから生まれた言葉に「ウーマンの敵はウーマン」というものがある。 また同時に、マン族の中にも構造変化が見られるようになった。それまで社会支配機構への組み入れを前提として養成されていたマン族の若者たちが、優秀なウーマン族の流入、ニポン経済全体の弱体化、英米流のワーカークラス制度導入などの複合的な要因により、マン族の支配機構に入ることができないケースが多発した。マン族の中に、既存の支配機構に属す者と属さない者という区別が生じることとなった。 かつて遺伝的に明らかであったマン族とウーマン族の対立が、この時期を境に、遺伝的な民族区分からマン族式の支配機構に属する者と属さない者という対立軸に変化することになった。マン族の支配機構がほとんど変化していないのに比べ、その外側にある者の構成は大きく変わった。そのため、これ以降の対立はマン族とフマン族の対立と呼ばれるようになる。 「フマン」という語は「マンではない」という意味のニポン語に由来しているが、「フマン族」という呼び方は単に「マン族ではない」ということだけを指しており、マン族と遺伝的に異なるフマン族という民族が存在するわけではない。しかし、この新しい対立構造も従来のマン族とウーマン族の対立によく似た構図となっているため、マン族とフマン族の民族間対立として説明されることが一般的である。一度フマン族に属してしまうと、マン族に移籍することは非常に困難であり、両者の立場が固定的である点も、この解釈を有利にしている要因のひとつである。 古くからマン族が対立民族を批判するのに用いていた論法が、能力主義である。ウーマン族が支配構造から排除されていたのは、ウーマン族の個人的能力に問題があるからであり、マン族の支配機構に不公正があるのではないという主張であった。現在ではウーマン族出身の個人がマン族の支配構造に浸透しはじめており、かつての主張にさほどの根拠がなかったことが明らかになっている。 そして今ではマン族の批判はフマン族に向けられているが、そこで用いられる論法も似たような能力主義によるものとなっている。つまり、マン族のシステムは非常に公正なものであり、その公正なシステムで支配機構に入れなかったということは、つまりフマン族の個人的な能力の不足に全て由来するという主張である。この新しい論法は、旧来の能力主義と特に区別して「自己責任論」と呼ばれる。 フマン族はマン族の支配機構が持つ潜在的な排他性を批判しているが、マン族はこれを認めず、フマン族に属する個人の不作為による責任をマン族のシステムに不当に転嫁するものだとして反論している。これに対してフマン族の論客は、マン族に属する個人の成果はマン族の固定的な支配機構によって助けられた面が大きいのに、その成果を全て個人の努力の成果であると勘違いしているとして再批判を繰り広げている。両者の感覚的食い違いによって、論争は感情的な対立に発展している。 一方、旧来の文化を維持するウーマン族たちがマン族と婚姻関係を結ぶことでマン族の利権に食い込もうとする活動を強化していることに対し、フマン族の中の旧マン族出身者などから強烈な批判が寄せられている。こうした批判を浴びているウーマン族は「甘味」と呼ばれ、差別的な扱いを受けている。このように、フマン族はその内部構成においても非常に複雑である。 とある、マン族が経営する企業で、経費削減のために職場で働いている従業員のうち、一時雇用扱いとして勤務契約を結んでいるフマン族従業員を解雇することにした。マン族の管理職員が現場の従業員に向かい、「マン族とフマン族に分かれなさい」と指示した。しかし従業員はこれに従わず、「私たちはマン族でもフマン族でもない、みな同じニポン人だ」と答えた。これを聞いた経営者は、この職場の全員を解雇した。 この「事件」はニポン国内で話題となったが、経営者は「彼らは業務上の指示に従わなかったので、職務規定にのっとって適切に処置した。我々の行為に全く問題はない」と回答している。これに対しフマン族の論客は「マン族をひっぱたきたい。このような状況が続くようであれば、むしろ戦場で兵士となることを希望する」と、現行秩序の破壊を叫んだ。これに対しマン族は「士官としてならば、こちらも従軍する用意がある」と応じている。 しかし一般にフマン族勢力は組織されておらず、マン族の支配体制に対して散発的な批判的言動を繰り返すのみで、まとまった反体制運動を生み出すには至っていない。しかし、ときおり一時的な集団行動を見せることがあり、これは「炎上」などと呼ばれる現象を引き起こす。炎上はときとしてマン族の組織や個人に及ぶこともあり、これを嫌ったマン族は、フマン族への弾圧を強めつつある。 マン族の若者もフマン族の若者も同じような確率で反社会的な行動を起こすが、ニポンの情報流通はマン族によって支えられているため、フマン族青年による犯罪が連日連夜大々的に扱われ、フマン族の反社会性を強調するために用いられているとされる。フマン族の主張に理解を示すある研究者の調査によれば、マン族が青年期にあった時代の犯罪率とフマン族青年の犯罪率を比較すると、むしろフマン族青年のほうが重大犯罪率が低いという調査結果も出ているという。 マン族とフマン族の民族対立の影響により、ニポン国内の社会機構が徐々にその機能を失いつつあるという警告が各方面から継続して提唱されているが、マン族もフマン族も非は相手にあるとして改善への動きは見られず、むしろこうした警告を軸としてさらに対立を強める傾向にある。マン族とウーマン族の融和によって、統一民族である「大マン族」が誕生すると目論んでいたニポン政府は、予期しなかったフマン族の出現に頭を抱えている。 こうしたニポンの機能低下については、産業機能の周辺諸国への移転が進んだために、米国など先進諸国の関心は薄れている。かつての共産思想のような反体制勢力を煽動する動きが現れない限り、特に安全保障上の問題も無いという見方が主流である。またニポンの周辺諸国としても、「眠れる獅子」となったニポンがいつまでも眠っていてくれることが国益にかなうため、むしろこの状態の持続を積極的に支持している。 我々もニポンの状況を他山の石として、社会心理の健全性には常に注意を払っておくべきだろう。 ■
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by antonin
| 2008-08-18 23:13
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「カラクリ」という言葉を聞いて、「キテレツ大百科」を連想してしまう「元男の子」には、世代的に見ていったいどの程度の広がりがあるのだろう。いや、そういう話がしたいのではなかった。私はなぜApple社とその製品が嫌いなのか、という話だった。 -- 私はApple社の製品が大嫌いだ。もしも私がフック船長なら"I hate Steve Jobs!"と叫んでいるところだ。しかし、私はApple社の製品を購入したことがないし、利用したこともほとんどない。だから迷惑を被ったこともないし、本来ならこれを嫌う理由などないはずだ。しかし、繰り返して言うが、私はApple社の製品が大嫌いだ。これはなぜだろうか。 答えはだいたい見えていて、それは「みんなと同じことが大嫌い」だからだ。単にアマノジャクのなせる業だ。典型的な「典型的でない人」だからだ。「みんなと同じことが大嫌い」だったら、みんなが使っているMicrosoft製品なんかじゃなくて、Apple製品を使うべきなんじゃないかと思うだろう。それは「典型的な人」の発想だ。典型的な「典型的でない人」の発想はそうじゃない。 私はApple社の製品を使っていない。これは重要なポイントだ。もし使っていたとしたら、徹底してApple社の製品にこだわっていただろう。そしてどうしただろう? 私ならこうしただろう。つまり、Apple製品を徹底的にこき下ろすのだ。そしてカスタマイズ術を駆使してWindowsそっくりの外観と操作性に仕立て上げてしまうのだ。どうだ、みんなと違うだろう? Apple社の製品を使わないApple嫌いは、実はApple社の製品が嫌いなんじゃない。Apple社とその製品をベタ褒めするという文化が大嫌いなのだ。Microsoftの評判を聞いてみろ。みんながみんな口を揃えて非難するだろう? でも誰もそれを使うのをやめようとしない。もちろんOutlookやWordみたいなクソは別だが。 ところがAppleはどうだ? 誰もその先進性を疑いもしない。たとえ古い技術の焼き直しにしても、「それを実用レベルにしてボクたちに見せてくれたのはやっぱりAppleだぜyeah!」という声しか聞こえてこない。なんだこの団結力は。恋する少年はちょっと滑稽だが、大人の目から見ればそれはかわいらしい。けれども、千人の少年が口を揃えて「Apple大好き!」と叫んでいたらどうだろう。私ならその場から逃げ去るばかりではなく、そのAppleちゃんとやらまでが気味悪く思えてしまうだろう。そう、それなんだ! 私はそういう人間だ。典型的な「典型的でない」人間だ。ヴェルサイユを取り巻いた群衆が「マリー・アントワネットを殺せ!!」と叫んでいる中に迷い込んでしまったら、きっと私はこう言うだろう。「彼女にもきっといいところがあるはずさ」と。とにかく、みんなと同じことは大嫌いだ!! だから、私が嫌いなのはトヨタじゃなくて、トヨタのピックアップなんだ。トヨタは案外いい仕事をしている。というより、みんながけなしてくれるから、安心して見ていられるんだ。案外いいところがあるじゃないか、とね。嫌いなのはホンダだ。誰に聞いてもいいことを言うじゃないか。たいしたシェアもないくせに。そんなメーカーは大嫌いだ!! もうわかっただろう? Microsoftが備える、偉大な「安心感」を。もう私の仕事はない。みんながしてくれるから。私は安心してVistaの64bitバージョンを使おう。楽しいじゃないか。Vistaってね、案外いいところが多いんだよ。みんなが言うほどの不便はないから。それに比べてどうだ、Appleの「不安感」ときたら。誰もが「これは素晴らしい」「革命的だ」「Jobsはボクらのヒーローだ」なんて言っていて、右を見ても左を見ても賞賛ばかりだ。Appleが嫌いだなんて言ったら、きっとJacques de Molayみたいに火あぶりになってしまうだろう。胡散臭い!!! だから私は使ったこともないApple製品を大嫌いになってしまうんだ。誰もが賞賛するシステムなんて、ロクなもんじゃない。誰もが賞賛するシステムが本当に優れているなら、今頃全てのコンピュータ・システムはUNIXによって統一されていたはずだ。OS XはUNIX系OSなの?(これはかなり当たっているだろう) Objective-CはPascal系言語なの?(これは・・・ウウム) それでも最近になって、私はApple社の製品に対して少しずつ心を開き始めている。それは、少ないながらも私に味方する人が現れ始めたからだ。「Apple社の製品の評判を聞いてiPodを使い始めたけど、これってそんなにいいの? 確かにフラッシュの容量の割には安いけど、音質は悪いよ」だとか、「OS XになってからのMacはMacじゃない。Power PCを捨てたMacは終わってる」だとか。(でも680x0が懐かしいって声は聞けない) それでもまだ世間はApple賞賛のTsunamiの中だ。私はあわてて高台へ逃げた。私はなんとか大きな波に飲まれずに生き延びることができた。どんなにひどいTsunamiも、いずれは町から引いていくだろう。そのときになったら、もう誰にも賞賛されなくなったApple社製品を私はそっと拾い上げ、目を細めて使い始めるかもしれない。もしそんな日が来るなら、だが。 -- 翻訳調の文章は書いててテンションが上がるな。でも3日もこんな文章を読み続けたら胸焼けしそうだ。 昔から、X68000は好きだったけどその「信者」が嫌いだったり、Sonyなんかは何もかもが嫌いだったりしたから、その延長線上にApple嫌いがあるのだろうというお話でした。でも最近はSony好きですよ。テレビレコーダもビデオカムもヘッドフォンも全部Sonyです。誰も褒めていないので安心して買えるようになりました。みんながAppleに失望したらMacでも買ってみようかと思います。クァッドコアのCore2が載った、Quadraみたいな筐体のやつが出たら買ってみたいです。 ■
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by antonin
| 2008-08-18 02:58
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杉浦日向子さんが亡くなって3年になるのだという。もうそんなになるか。 江戸時代はそんなに素晴らしい時代じゃなかった、という批判はもっともなのだけれども、まぁいいじゃないか。過去には過去の、未来には未来の、みやびにはみやびの、ひなびにはひなびの、それぞれ良さがあるってもんじゃないのか。もちろんそれぞれにドス黒いものもあって、それもまた当然なんじゃないのか。両方に着目する声があって、そこに中庸が生まれる。いいんじゃないか。 自分の生まれた頃の写真が褪色して見えるというのは不思議なものだ。もうカラー写真の時代なのでセピア色になったりはしないのだけれども、36年という年月は相当なものだ。1日が30000時間あったらいいのに、ということを何度も言ったけれども、これは実現しないからこそ放言できるのであって、本当に1日が3万時間もあったら困るだろう。 自堕落な1日の過ごし方を肯定するには時間が1000倍以上必要だろうという程度のことであって、人生が10000年あったらいいのに、などという恐ろしいことは思わない。自分が生まれてから何時間経ったのかを計算してみると、318500時間くらいということになる。1日が30000時間あったら、10日と少しだ。まぁいろいろとあったけど、良くやったほうじゃないか。 将来への責任、特に親と子供たちへの責任などもあって、健康に長生きして、ガッポリ稼ぎ続ける義務がある。その一方で、まぁ人生腹八分満足したような、だらしない充足感もあって、夕に死すとも可なり、というような心境でもある。これまでの人生も、かなり盛り沢山でしたありがとうございました。 マイスリーさんが久しぶりに効いてきたので、これにて退散。 -- 今日の異口同音:「今夜はpsycho」(4件) ■
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by antonin
| 2008-07-24 00:03
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まず、『パッと思いつく四字熟語を2つ上げてください』 ・・・そのココロは、以下。 心理テストの結果の解釈は? - 教えて!goo こういうのは、信じやしませんが、結構好きですよ。ちなみに私は「質実剛健」と「魑魅魍魎」でした。どっちもハズレ、というか、順番が逆なら当たりだったかな。 四字熟語や家庭の医学みたいな辞書が採録されていない代わりに英語の発音が聞ける電子辞書を選んで、それはそれで楽しいのだけれども、結局TOEICの勉強なんかしていないので四字熟語辞典が入っているお手軽機種のほうが良かったかな、などと思っていたり。電車で文春を読んでいて「明眸皓歯」なんて言葉が出てくると即座に電子辞書を開いて調べるのだけれども、こういう言葉を普通の文脈にすっと表せるようになると素敵だなぁ。うむ。 漢籍の知識がないと本格的には楽しめないのだけれども、入り口としてはいいかもしれない。「片言隻語」とか「漱石枕流」なんて言葉を多用するのも馬鹿らしいけれども、知っているということはいかにも楽しい気がする。 演算子の作用や副作用を高度に利用したソースコードとか、どんなバイナリが出来上がるのか想像もつかないようなメタコードとか、逆に低レベル命令で自己書き換えをするバイナリコードなどは、仕事として絶対に書くべきではないとは知りつつ、それを知ること自体がやっぱり魅惑なのであります。 江戸時代の多様な仮名文字であるとか、かつての音韻を色濃く残した旧仮名遣いであるとか、発音も筆記用具も印刷技術もすっかり変わった現代において多用すべきではないと知りつつも、それを知るのはやっぱり魅惑なのであります。 韓国語はわからないが、ハングルだけなら読めるようになって、これが結構楽しい。イタリア語やスペイン語はわからないが、ラテン語の単語をいくつか知っていると、案外に楽しい。キリル文字やアラビア文字やタイ文字やデーヴァナーガリー文字が読めたら、それもきっと楽しいに違いない。 アフリカの諸言語を表記するラテン記法の解説を放送大学でちらっと見たことがあるけれども、あれも面白かった。昔、ある芸人がテレビ番組の中で「か゜」とか書いていたやつと同じシステムだと思う。韓国語と同じで、有気音と無気音の区別があるのだ。一方で韓国語には一部で有声音と無声音の区別がなかったりして、これまた面白い。 あぁ、一日が30000時間あったらいいのに。 ■
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by antonin
| 2008-07-10 01:58
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私たちが現在使っている日本語では、単語のほとんどはその来歴を外来語または外来語に基づいた派生語として説明することができる。ある知事はかつて、フランス語は数字を数えるのに不便な言語であると発言したこともあったが、実は日本語はフランス語以上に大きな数を数えるのに不向きな言語である。 本来の日本語である、和語とか「やまとことば」と呼ばれる範囲に限定すれば、数字は次のような系列になる。 ひ ふ み よ いつ む なな や ここの とお 「ひとり」、「ふたり」、あるいは「ようか(やうか)」、「ここのか」、「とおか」という言葉は、これらの和語による数詞から作られている。和語では1から10までは普通に数えることができるが、それ以上の数字はやや面倒な構成をとらざるを得ない。20や30なら「はた」「みそ」と数えることができるが、例えば13であれば「とおあまりみっつ」というような表現にならざるを得ず、とても大数を扱う算術を生み出せるような言語ではなかったというのが正しい。 しかし日本には中国大陸から取り入れた漢字文化が古くからあり、そして漢字文化には非常に整然とした十進表記体系が存在していたから、日本人は10を超える数字はもっぱら漢数字で表現することができた。そのため和語は、1500年以上も数詞を発達させる機会を失ったまま現代に至ったと考えるべきであろう。 同様に、現代フランス語で数字の発音が少々複雑であろうと、近世フランスにはアラビア数字がもたらされたのであり、そこには高度な数学が発達した。ラグランジュ、ルジャンドル、ポアンカレ、ヴェイユなどが紡いだフランスの輝かしい数学史を、あの知事はおそらく知らないのだろう。 話を元に戻せば、日本語はそれと気づかないような外来語の宝庫であり、それは日本が世界に目を向けてきた歴史の重層を示すものでもある。漢字は「漢」の「字」と書くとおり、中国大陸が秦により統一され、同時にそれまで地方によりまちまちだった文字が統一されたものを、日本が輸入したというところに由来する。したがって、漢字で書かれる言葉のうち少なくない部分が、かつての「外来語」だったのである。漢字は日本文化に深く浸透したから、江戸期や明治期の日本人がヨーロッパ言語から「漢訳」した漢語の多くが、中国にも「逆輸出」された。 そしてもちろん、現代日本語における外来語は中国大陸由来のものばかりではない。「合羽」や「襦袢」などは安土時代に日本へ到達したポルトガル人からもたらされた衣類に由来し、今では漢字を当てられてすっかり日本語のように見えるが、その語源はポルトガル語であるというのが定説である。それぞれポルトガル語の"capa"と"gibão"に相当する。 同様に現代日本語の中に残されている「外来語」のひとつに、「ハナゲ」がある。現在では「鼻毛」という当て字が定着しており、その意味のあまりの適切さから、これが日本語であることを疑う人は少ない。しかし歴史を丁寧に紐解けば、それがやはりポルトガル語に由来することが明らかとなる。ハナゲに対応するポルトガル語は"hãnage"であるとされているが、その単語に「鼻毛」という意味はない。しかしなぜ"hãnage"は「鼻毛」として日本に定着したのか。それは少々複雑な謎解きとなる。 ポルトガル人宣教師が南シナ海を経て日本に到達する以前には、日本語に「鼻毛」ないしは「はなげ」という語彙は存在しなかった。それを指す語は存在していたが、直接に鼻毛だけを意味するという語ではなかった。古い歌にこういうものがある。 あおぎみゆ きみがおもてに くろくさぞ われたわむれに おさむるもいらじ 適切に漢字を当てれば、 仰ぎ見ゆ 君が面に 黒叢ぞ 吾戯れに 収むるも入らじ となり、敢えて現代語にすれば、 見上げた あなたの顔に 黒い草があって、 私はふざけてそれをしまってみようとしたけれど 入らなかった というような意味になる。どこにも鼻毛など出てはこないが、女性が男性の顔を見上げた際に目に入った「くろくさ」がその隠喩であるとされている。この歌が広く知られた時代には、近畿から九州にかけての広い地域で、鼻毛は「くろくさ」かそれに近い音で呼ばれていた。しかし、長崎県の郷土史研究家である荒麻蒼海氏の報告によれば、長崎地方の一部では「くろくさ」のほうではなく、「いらじ」が転訛した「いらげ」という言葉で呼ばれていたという。 ポルトガルからの宣教師が南方から日本に到着し、比較的初期に布教が進んだ地域では、鼻毛は「いらげ」と呼ばれていたのだが、そこに「収まらないもの」であるとか「逸脱したもの」という意味のポルトガル語である"hãnage"が伝わり、「入らじ」という意味との共通性や、「ハナゲ」と「いらげ」との音韻的な類似性から、長崎地方では鼻毛という意味での「ハナゲ」という語が定着したとされる。そして江戸期を通じてその単語は九州北部から長州(現在の山口県)にかけての狭い地域で方言として使われるようになった。 そして江戸幕府が倒れ明治政府が樹立すると、その立役者の一派である長州勢が新都東京へと進出した。国民の教育水準向上が富国と強兵を生み出す源泉であると看破した明治政府は学校制度を確立させたが、これと同時に新しい時代の日本語である「標準語」が誕生し、全国へと普及することとなった。これと時期を同じくして、「鼻毛」という漢字表記を得た「ハナゲ」が、一地方の方言から正式な日本語の一員となった。 葡語の"hãnage"と同源の名詞は西ヨーロッパの各言語にも存在し、英語、仏語、独語にそれぞれ"hanage"という単語が存在する。ドイツ語では「ハナーゲ」、フランス語では「アナージュ」と発音される。フランス語などのラテン語族ではしばしば"H"の発音が消えており、フランスでは日本のキャラクタである"Hello Kitty"が「エロキチ」と呼ばれて若い女性に親しまれているというのは、比較的有名な話である。 参考:「Ca va? : イメージが・・・」 英語の"hanage"は慣習的に「ハネージ」と表記されるが、実際の発音は「ヘァニヂ」に近い。この発音が日本語の「鼻血」と似ていることから、「鼻血」もまたハナゲ同様に"hanage"を語源とするという説があるが、これは俗説である。英語の"hanage"と日本語の「鼻血」を直接に結びつける文献学的な発見は現在まで報告されておらず、一方で「鼻血」という単語の登場は、「ハナゲ」に「鼻毛」という字が当てられることが一般的になった明治中期以降であることがほぼ確かめられている。そのため、鼻毛という「熟語」からの類推によって「鼻血」という語が作られたという説が、現在では最も有力である。 -- なんていう話を4月1日に書けたらよかったのにな。 今日の孤立素材:「サン=ポール・ジャルトル」(0件) ■
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by antonin
| 2008-05-15 23:51
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昔むかし、あるところに、長い道を歩いている一人の男がおりました。 それを空の上で見ていたのが、北風雲と太陽でした。 「どちらがあの男の外套を脱がせることができるか、勝負しよう」 と北風雲が言うと、 「かまいませんよ、やりましょう」 と太陽が応えました。 まず、北風雲がびゅーっと北風を吹かすと、男の外套は吹き飛ばされそうになりました。しかし、北風の冷たさに、男は外套の襟をぎゅっとつかむと、それを離すまじとして歩き進めました。北風雲がいくら北風を吹かせても、男はなおのこと外套を離そうとはしませんでした。 ついに北風雲は力尽き、次に太陽が男を照らし始めました。すると男はぽかぽかと暖かくなり、背筋を伸ばして歩き始めました。太陽がいつまでも男を照らし続けていると、ついに男は汗をかき始め、とうとう外套を脱いで懐に抱えて歩き出してしまいました。 この勝負、太陽の勝ちでした。 思わぬ結果に悔しがった北風雲は、 「では今度はあちらで勝負しよう」 と言い出しました。太陽は余裕のふうで、 「よろしいですとも」 と応えました。 太陽は外套を着て道を歩く男を見つけ、その男をかっかと照らし始めました。ところが、男は道をまっすぐと進み、建物の陰へと入ってしまいました。太陽は必死で町を照らそうとしましたが、建物と道は入り組み、なかなか男を照らし出すことができませんでした。陽気が穏やかになったので、男は建物の谷間のベンチで外套を着たまま休憩を始めました。 太陽がとうとう諦めると、北風雲が日差しを遮り、男が座っているベンチのある通りに向かって、強烈な北風を吹き込みました。すると、ベンチに座っていた男は堪らず席を立ち、再び道を歩き始めました。建物の谷間では北風は一層強まり、男の外套は吹き飛ばされそうなほどに巻き上げられましたが、ここでも男は外套の襟をつかんで離しません。 しかし、最後に男は一軒のカフェを見つけ、戸を開けて店の中へと入りました。暖かい店に足を踏み入れると、男はさっそく帽子と外套を脱ぎ、外套掛けにそれを預けました。男は一杯のコーヒーを注文すると、旨そうにそれを飲みながら新聞を広げ、しばらく店から出てきませんでした。 この勝負、北風雲の勝ちでした。 最近は太陽の負けが続き、太陽が少々躍起になって人間を照らしているので、辺りが昔よりも暖かくなり始めたという噂も耳にしますが、それはまた別の話。 ■
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by antonin
| 2008-05-06 20:29
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人間は、ひよこ豆である。しかし、考えるひよこ豆である。 あるひよこ豆は、種となり土に蒔かれ、時に応じて芽を出し、草となって実を結ぶ。 しかしまたあるひよこ豆は、スープの具となって煮込まれ、人の糧となる。 考えるひよこ豆は、いかにして土に蒔かれ発芽するかを考え、そのために最善と考えられる方策を講じる。 また別の考えるひよこ豆は、いかに柔らかくうまみのあるスープとなって人の舌を喜ばすかを考え、そのために最善と考えられる方策を講じる。 また別の考えるひよこ豆は、選り分けられて今まさに煮られようとするざるの中で世界を見、また洗われたひよこ豆たちの姿を見る。そして、ひよこ豆とはなにものであるかについて考え、論じる。そののちにスープにされるということは考えもしていないかのように。 人間は、考えるひよこ豆である。しかし、ひよこ豆である。 でんぷん質と魂の共存という悩ましい関係の中に存在する豆である。 これはエイプリルフールのために書かれたジョーク記事です。 ■
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by antonin
| 2008-04-01 22:04
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